【竪町鼕之会の生い立ち】
古老の話では、大正時代より戦前までは今ほど立派ではなくても沢山の住民の参加する鼕行列があり、正月・お祭り・祝事等には、町内を練り歩いたと聞いております。
昭和三十年代頃には、再度鼕、鼕台創作の話が出るもその時代を牛耳っていた諸先輩方の反対で頓挫したようであります。
昭和五十三年、中原町土手大鼕会の方から、鼕台を新調するという知らせを聞き、何度もお願いに行った結果、
「嫁に出すような気持であるが大切にしてくれるなら」と云う事で古い鼕一式 (仁宮鶴吉作) を譲り受け、長い空白を経て『竪町鼕之会』が発足する事になります。
それ以来、毎年十一月三日 (当時、現在は十月第三日曜) を目標に、笛に鼕にチャンガラにと何とか上手くなりたいものと誰もが練習に練習を重ねて早いもので三十七年を迎えます。大体三年又は四年に一回鼕行列に参加する町内が多いのですが、それは経費が沢山必要ゆえの事の様であります。
他町と比較するとき毎年参加している我が竪町は百年掛けて達成される回数を約三分の一の三十年で達成した事になります。何故最初から毎年参加の道をとったのかと云えば、子供たちの記憶に残る年齢が小学校より始まったとした場合、三~四年に一回の出場であれば小学校六年間にうまくいって 2 回、風邪でもひいてしまえば 1 回又は不参加で終わってしまいます。
その様な状態にさせない為にも何とか続けて参加しようという気運となり子供たちにも寂しい思いをさせずに現在にいたることが出来ました。
子供の時より鼕に参加することで町内外とのコミュニケーションにも大変役立ち健やかな成長の一助には十分な働きをしているものと自負しております。
【竪町の鼕】
昭和五十九年に、鼕の皮、桶を二組新調しました。直径四尺三寸 (約 130 センチ) と大きくはありませんが、勇壮でよく響きます。
また、平成十年に鼕台を新調 (宮大工 佐藤保治 (重要文化財建造物木工技能者認定) 作) し、平成十二年には鼕蔵を新築し現在に至ります。
鼕の叩き方は、しゃぎり、ミタミタ、早打ちがあり、男性は力強く腹に響くような、女性は華やかに踊りたくなるような音を目指しています。
【竪町の歳徳宮】
「小林如泥」の作と言われています。型は小さいのですが、美麗の出来と言われ、岡崎運兵衛、大島新四郎両富豪からの浄財によるものです。
鼕行列の二週間前に宮蔵から町内の中央に遷座いたし、町内の繁栄や平安をお祈り致します。