横濱町
鼕行列当日写真 2013 鼕行列 南殿町商店街にて
横浜町酒保車「大五郎」
屋根に横浜町民力作、国宝松江城の 1/20 スケールで作った段ボール製模型を積んでいます。
2012 年横濱お額さんまつりより
横浜町の歳徳神
文政 4 年 (西暦 1821 年) に作られた記刻があります。かの有名な桜田門外の変があった万延元年 (1860 年) より年号が古いもので歴史の重みを感じます。
2012 年横濱お額さんまつりより
横浜町の歳徳宮
文政 4 年 (西暦 1821 年) に棟梁不詳 小林如泥作ではないかと定かではない。
2010 年横濱お額さんまつりより
横浜町の歳徳宮
以前は毎年 11 月 3 日に歳徳神祭として歳徳宮を担いでいましたが、現在は鼕行列に参加しない年に横濱お額さんまつりで担いでいます。
鼕行列横笛練習
鼕行列にとって横笛は大切な存在。笛吹き育成にも力を入れています。
例年、数人の笛吹が育っています。
宍道湖畔練習
宍道湖畔に鼕を出して練習をしています。
横浜町内練習
横浜の鼕 T シャツと着用して鼕行列の練習をしています。
「どうたたきの」起源 湖畔を吹く風に秋が感じられ、「どうだらづ」の血が騒ぐ季節がやってくる。
テロ・テロ テロロ テロ・口。ロ ドーン・ドン ドン・ドン アラサッサ ドン・ドン笛の音、チャンガラの音の囃子・・・いよいよ鼕の練習が始まった。
鼕の音の魔力になかれるように人々の足が音のする方向に流れる。
この祭りの始まりは「第二代藩主松平宣維の後妻として、享保 9 年 (1724 年) に伏見宮邦良親王のご息女岩姫が降下された時、城下の町方の人たちが競って大きな鼕を作り、これを叩いてお祝いと慰めをしたのが始まりと云われている。
「横濱町の鼕」 横濱町に鼕がやってきたのが明治 35 年頃、旧広瀬藩から中古の 6 尺鼕を譲り受けたのが始まりである。
その後、4 尺 5 寸の鼕を二個作成している。決して裕福でもなかった職人町が鼕三個に鼕台二基を揃え、毎年のように行列に参加する様は「のぼせもん集団」と言われても仕方がない。
大正 4 年の大正天皇ご即位の御大典の頃には鼕台に屋根はなく、雨に降られて大変だったようである。
昭和 22 年、市内の町内では初めて鼕台を「そぎ葺き軒唐破風四つ棟造り」に新調した。
この六尺鼕を収容するには、この鼕宮は正方形で、屋根は何処から眺めても正面を向いており、格調の高い設計となっている。
一方、4 尺 5 寸の 2 連鼕の鼕台は平成 8 年 9 月に「入母屋唐破風造り」に新調し、鼕台二基に鼕三個を載せ、勇壮、優雅に練り歩きながら、ゆっくりしたテンポで打ち鳴らす横濱町の鼕の音は聴く人、叩く人の腹の底に古の人々の息吹を感じさせてくれる。
鼕の真髄は、ただ賑やかに打ち鳴らすだけではなく、神々への深心の思いを込め、人々の郷愁を誘うものでなければならない。